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皆空の中で...

続_オケラ5世_第1回BOCシングルハンド世界一周レース(後編)

続_オケラ5世_第1回BOCシングルハンド世界一周レース(後編)
                                       総目次へもどるは→こちら

第1回BOCシングルハンド世界一周レースは1982年8月28日にスタートした。第一レグはニューポートからケープタウンである。スタート後,数日でリタイヤしたヨットもあったが,多くのヨットは大きなトラブルもなく北大西洋→赤道→南大西洋と航海した。ケープタウンへ残り数日という位置のオケラ5世からの電波が東京へ強力に届いたことがあった。
      (BOCは,British Oxygen Company=英国の工業ガス会社の略称 )
多くの参加艇はケープタウンで無料補給を受けて第二レグへ一斉スタートした。
アフリカ南端のケープタウンからシドニーへの第2レグは世界でも最も荒れる海域を通過する航海のようだ。
ケープタウンの緯度を保っての航海では距離が長くなるため,レース艇はケープタウンから東南東のコースをとる。最短は大圏コースであり,その場合は南緯49.3度,東経69.1度のケルゲレン島(Kerguelen Island)の更に南側を通過することとなるが,南氷洋となるため,ケルゲレン島より北側の海域を航海する。この海域は最も厳しい「吠える40度(Roaring forties),荒れ狂う50度(Raging fifties)」である。このため,レース参加艇の多くがノックダウンし,中には沈没したレース艇もあった。

次は「オケラ5世優勝す」から引用です。やや風の強い中でのヨットの状態です。下図右は船内の人間の状態です。
                       (図はクリックで拡大します。)
   1_やや風が強い状態  3_船内の人間2

このような船内でも,食事は必要なので,オケラ5世では,航海中に古い海図を丸めてFRPで積層し,丸棒を作り,下図のように縦に取り付けて,それにまたがって調理をしたり食事をしたとのこと。荒れた海では揺れても身体が動かぬようにすることが肝要だ。寝る時も身体をベルトでバースへ縛り付けておかないと危険です。多田さんの航海日誌にヘルメットをつけたまま寝た時があるとの記録があります。
          (図はクリックで拡大します。)
             2_ヒール状態での

次は多田さんの航海記録「オケラ5世優勝す」のカバーからの引用です。写真左はスターン(船尾)側の波です。波がもっと激しくなると写真など写していられないので,この写真はそれに至らないレベルの波でしょう。
          (つぎの写真はクリックで拡大します。)
   2_オケラ5世カバーより 3_嵐の中で

「オケラ5世優勝す」の中に荒天時に「トライスル1枚で走る」とあります。トライスル(TrySail)とは下図の茶色のセールです。ブームも使用しないシンプルな張り方をします。オケラ5世は,下図のようにフォアステーを2本にしていました(下図を拡大してください)。フォアステーの1本にストームジブ(Stormjib)を取付けて下げておけば,荒天時のセール交換が簡便となります。ジブファーラーを使用しないので,そのトラブルは皆無です。順風時はゼノア二枚を観音開きに開いてスピンネーカー的な張り方をしました。何より,フォアステーが切れるトラブルが回避できます。
          (図はクリックで拡大します。)
     トライスル
荒れた海で,スターン(船尾)方向から強風を受けて帆走中に,クオータリー(後横方向)から大きく高い巻波が押し寄せると,波で船尾が持ち上げられ,逆に船首が下がり,船首が海面へ突っ込む形となる。この結果,ヨットが斜め前へ転ぶ形となって,マストが海面の中に沈むような状態となります。即ち,90度以上のノックダウン状態となります。
              (図はクリックで拡大します。)
4_ノックダウン4 5_ノックダウン5

「オケラ5世優勝す」の航海中に120度のノックダウンをしたと挿絵付きで記録されています。キールが海面より上に出るというのは大変なことです。このような状態の時に,身体をバースに縛り付けていないと,強く叩き付けられて骨折したりします。
このような荒海では,荒れがひどくなる前にハッチを締めることで船内への海水の流入を防ぎます。
レース参加艇の多くがノックダウンしています。ヨットが横転も危険ですが,最も恐ろしいのは,縦にデングリ返る「縦転」です。「縦転」は船尾からの非常に高い波で船首を支点にして完全に逆立ち状態で回転するのでしょう。横へのノックダウンより激しい力が加わるため,マストのみでなく,様々な艤装が破壊するでしょう。
          (図はクリックで拡大します。)
     66ノックダウン

このような状況でハッチを開けると海水が船内へ流れ込むため更に危険です。次は,そのような時に多田さんが唱えたという般若心経の一説です。この中の「色即是空 空即是色」よりも,「心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖(しんむけいげ むけいげこ むうくふ)」を唱えて恐怖心から自分を救ったのかもしれません。
          (写真はクリックで拡大します。)
        般若心経の抜粋

次の写真は,嵐の少ない第四レグの静かな朝,デッキで座禅をしている多田さんです。吠える40度,荒れ狂う50度を航海した人と,そのような経験のない人では静かな海の感じ方に差があるのかも知れません。
          (写真はクリックで拡大します。)
        大西洋夕方の

オケラ5世の航海「オケラ5世優勝す」に記されている,第一回BOCシングルハンド世界一周レースにおける参加艇のトラブル状況です。

第一レグ(ニューポートからケープタウンへ)
1982/08/28: レーススタート
1982/08/30:「ドリフトウッド;41fスループ」リタイヤ
1982/09/01:「スピリット・オブ・ペンタックス;55fスクーナー」鯨とぶつかる。
1982/09/27:「ムーンシャイン;39fカッター」スプレッダーがこわれる。
1982/10/17:「レダ・ピア・ワン;53fスループ」フォアステイトラブル。
1982/11/05:「ダットサン・スカイライン;44fキャット」が一時消息を絶つ。第一レグ後棄権。

第二レグ(ケープタウンからシドニーへ)
1982/11/15:「オケラV」ノックダウン。
1982/11/27:「スコイアンⅢ;43fカッター」ノックダウン。
1982/11/28:「レディ・べパレル;54fケッチ」縦転沈没,ムーンシャインに救助される
1982/11/30:「クレジット・アグリコール;56fカッター」ノックダウン。
1982/12/01:「ナイケⅢ;44f自作スループ」ノックダウン。
1982/12/05:「ラトソーⅡ;38fカッター」ノックダウン3回。
1982/12/06:「スコイアンⅢ;43fカッター」ノックダウン2回目。
1982/12/09:「シティ・オブ・ドネータン;42fスクーナー」ノックダウン。
1982/12/11:「アルティック・ポートレッカー」ノックダウン。
1982/12/18:「ジプシーモスⅤ;56fケッチ」タスマニアのバス海峡で座礁沈没。

第三レグ(シドニーからリオデジャネイロへ)
1983/01/16 レーススタート
1983/01/27:「アルティック・ポートレッカー;49fスループ」ノックダウン2回目。
1983/02/04:「バーセベランス・オブ・メジーナ;52fカッター」鯨と衝突。
1983/02/06:「ムーンシャイン」ノックダウン。
1983/02/08:「レダ・ピア・ワン」ノックダウン。
1983/02/09:「スコイアン;43fカッター」縦転沈没
1983/02/11:「バーセベランス」に救助される。
1983/02/25:「バーセベランス」ノックダウン。
1983/03/13:「オケラⅤ」第三レグフィニッシュ後に座礁。

第四レグ(リオデジャネイロからニューポートへ)
この間は,吠える40度の航海がないためか各艇ともノックダウンなどの記録は無い。
1983/05/17:「オケラⅤ」ニューポートフィニッシュ。

以上の記録からも,ケープタウンからシドニーへの第二レグとシドニーからの第三レグが,いかに厳しい航海であったかがわかります。一般的な世界一周クルージングでは,南緯40度,50度を連続して走るような航海はしません。商船などもそのような海域を航海することは少ないでしょう。
シングルハンドの航海でタスマニア島とオーストラリアの間のバス海峡(Bass Strait)を通過するのは非常に緊張する航海だったようです。
タスマニアへのバス海峡は深さが60~100mと浅く,島が多いため過去から多くの帆船が遭難している。交替でワッチができないシングルハンドでの航海は座礁の危険性がある。このレースでも優秀なレーサー「ジプシーモスⅤ;56fケッチ」が座礁・沈没している。

次の写真は,第三レグ;シドニーを出港して,ホーン岬→リオデジャネイロをめざすオケラ5世と多田雄幸さんです。多田さんが右手で操作をしているのはビデオカメラです。このカメラで撮った画像は日本テレビの倉庫で眠っているでしょう。
第三レグは大圏コースに近い経路をめざします。シドニーからニュージランドの南を通過して南緯60度まで南下します(地球儀を下から見るとシドニーからリオデジャネイロの最短コースがわかります)。
     (写真はクリックで拡大します。)
オケラ5KODENポスタ2

ヨットにレーダーを搭載している理由の一つは,このコースにおいて前方の氷山を発見するためです。大圏コースは南極に非常に近くなり,氷山への衝突の虞があるため,多くのヨットは南極から離れた海域を通過します。オケラ5世はかなり南極よりのコースを走ったため,第三レグを終えた時点で順位が大きく上がりました(大和魂的なコース取りだったと多田さんは話していました)。

次は,表彰式で優勝を喜ぶ多田さんです。オケラ仲間は多田さんのオケラ5世が優勝するとは夢にも思っていませんでした。オケラ仲間による自設計自作艇だから無事に世界一周できれば良いと考えていました。多田さんも「優勝はグリコのおまけ」のようなものと言っていました。
          (写真はクリックで拡大します。)
        多田さん優勝バンザイ

次の写真は,第1回BOCシングルハンド世界一周レースを終えた戦士達が,そろいのブレザーでニューポートのポンツーンへそろいました。前列左端がオケラ5世の多田雄幸さんです。
          (写真はクリックで拡大します。)
オケラ5世優勝表彰式

オケラ5世優勝の一報を聴いて,サポート仲間が世田谷祖師谷の「プリンス」に集まって祝杯をあげました。写真中央は西堀栄三郎先生,その右はコーデンの伊藤社長(当時),西堀先生の左は三浦の福寿寺の杉山滴水和尚です。
          (写真はクリックで拡大します。)
     オケラ5世優勝の乾杯(部分)

多田雄幸さんの著書「オケラ5世優勝す」は絶版になっていますが,アマゾンの書籍を「オケラ5世優勝す」で検索すると中古本が見つかるかもしれません。



次ページ 文春に掲載されたヨットレースに優勝したオケラの多田さんの航海 ⇒ こちら 


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  1. 2013/05/08(水) 16:00:59|
  2.  ヨット オケラの思い出 5世以降
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オケラ5世_第1回シングルハンド世界一周レース(前編)

オケラ5世_第1回BOCシングルハンド世界一周レース(前編)
                                   目次へもどるは→こちら

1975年の沖縄海洋博記念シングルハンド太平洋横断ヨットレースのあと,オケラ仲間はオケラ3世で近海クルージングを楽しみました。斎藤さんは1人乗り水上飛行機の自作に夢中になっていました。
そのような遊びの日々を過ごしていた頃,西堀栄三郎先生が愛艇ヨット「ヤルンカン」の整備で油壷ボートサービス(ABS)に来ていました。ABSの二階のデッキに居たABS社長と西堀栄三郎先生から声をかけられ,「犬そりへヨットの帆を利用」の話をしたことがきっかけに,多田雄幸さんと私は植村直己さんの北極点犬ぞり探検・グリーンランド犬ぞり縦断の支援をすることとなりました(この話は後日にします)。

植村直己さんの北極点犬そり単独行・グリーンランド縦断犬そり冒険が終えたころ,沖縄海洋博レースで友人となったデビットホワイトから多田雄幸さんへ「シングルハンド世界一周ヨットレースを企画したので参加しないか」との誘いが届きました。
デービットの誘いを受け「世界一周レースの夢」への気持ちがふくらみ,オケラ仲間の斎藤さんが世界一周レースヨットの手造りによる建造を開始しました。新艇の建造は三浦市南下浦金田の浜辺の空地で開始しました。現在は浜が埋め立てられ三浦市東部浄化センターが建設されていますが,当時は,農道の先の何もない金田の浜辺でした。

オケラ3世の次に,遊び目的でディンギーを自作しました。そのディンギーをオケラ4世と数え,世界一周レース用のヨットをオケラ5世としました。5世の建造中に資金不足となり,行詰り状態となりましたが,植村直己さんの北極犬そり探検の支援で知合いになった西堀栄三郎先生が動いてくれて,光電製作所の伊藤社長(当時)から支援を受けられることとなり,何とか世界一周レースへ参加できることとなりました。

第1回BOCシングルハンド世界一周レースは北米東海岸のロードアイランド州のニューポート(Newport/Rhode Island)がスタート地点だったので,多田さんは甥のケンちゃん達とオケラ5世を太平洋→パナマ運河→カリブ海→ニューポートへと廻航しました。
      (BOCは,British Oxygen Company=英国の工業ガス会社の略称 )
1982年8月28日,第1回BOCシングルハンド世界一周レースがスタートしました。レースは50フィート以上をクラス1とし,50フィート以下のヨットをクラス2として競技が開始されました。次の写真は,そのレースの航海日記をもとに多田さんが書いた「オケラ5世優勝す」の表紙です。写真は,長い棒の先にカメラを取付けてヨットの先端部からさらに前に突き出して,航海中のオケラ5世と自分を撮影したものです。波が無く,風が安定していないと,自分独りでこのような艇速のある写真は撮影できないですね。
現在はデジタルカメラの時代なので,その場で撮影の結果を見ることが出来ますが,当時はフイルムカメラだったので上手く撮影できているかは帰国して現像するまでわかりませんでした。
          (写真はクリックで拡大します)
   オケラ5世表紙

次は「オケラ5世優勝す」の表紙の裏に書かれた多田さんのサインです。多田さんは日展へ絵画を出展するほどでしたので,絵や文字の書き方に心得がありました。
          (下図はクリックで拡大します)
   多田さんのサイン

次は,文庫本となった「オケラ5世優勝す」の表紙です。クリックで拡大していただくと多田さんのヨット歴や世界一周レースの記述(著者履歴)が読めます。
          (下図はクリックで拡大します)
   オケラ5世表紙Book2

次は,表紙の裏へ書かれている「世界一周レースの工程」と参加したヨットの遭難記録です。下図の青文字①から②がニューポートからケープタウンまでの第1レグです。②から③が最も厳しい「吠える40度(Roaring forties),荒れ狂う50度(Raging fifties)」を航海する第2レグです。③から④へも南緯40度,50度の荒海を帆走し,ホーン岬を越えてリオデジャネイロまでの第3レグです。第4レグは④のリオデジャネイロからニューポートまでです。
下図をクリックして拡大すると,レース艇の遭難位置が書かれています。第2レグでケープタウンを出港し,シドニーへの航海で多くのヨットが荒波と強風でダウンしています。
丁度その頃,南極大陸の最高峰「ビンソンマシフ」の登頂をめざして,南極のアルゼンチン基地で待機していた植村直己さんと,第3レグを航海中の多田雄幸さんはアマチュア無線で交信をしています(録音が残っています)。また,南極からもどる植村直己さんとアルゼンチンの沖合の海上ですれ違っています。日本の真裏の位置から東京への無線通信実験も実施しました(対蹠点効果の実験)。
        (下図をクリックして拡大すると各艇の苦難がわかります)
航海地図85

次は,オケラ5世の艤装です。全長44フィート(13.20m),幅3.95m,マスト高14mです。図は説明のためズングリと書かれていますが,実際は44フィートの長さです。
        (下図はクリックで拡大します)
オケラ5世艤装2


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  1. 2013/04/17(水) 14:15:02|
  2.  ヨット オケラの思い出 5世以降
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一人乗り水上飛行機の自作(ヨットオケラ番外編)

一人乗り水上飛行機の自作(ヨットオケラ番外編)
                                総目次へもどるは→こちら

1975年の沖縄海洋博ヨットレースのゴール直前でヨット「カタハ」が沖縄本部町と伊江島の間の浅瀬で座礁しました。その情報を聴いてオケラ3世の多田雄幸さんとゴールで待っていたオケラ仲間の白石義雄さん斉藤さんが「カタハ」とスキッパーのデビットホワイトの救助に向かいました。デービットは多田さん達の友情に感激し,多田さん達に友情をいだくようになりました(多田雄幸さんは外国人からも慕われる人でした)。

海洋博レースを終えたオケラ3世を沖縄から神奈川県三浦の諸磯ハーバーまで廻航する際に,デビットホワイトの「カタハ」も三浦まで一緒に航海しました。多田雄幸さんはデービットホワイトを世田谷祖師谷の自分の借家へ一か月ほど同居させました。デービットは英語を全く話せないオケラ仲間の白石義雄さんとも酒を飲んだりして楽しそうに過ごしていました。
多田さんの借家に一か月ほど居候したデービットは,ヨット「カタハ」に乗せて航海した愛猫を三浦の福寿寺にあずけ,母国へ帰りました。愛猫はアメリカン ショートヘアーで,福寿寺の奥様「美智子さん」にかわいがられました。

オケラ3世は,それから5年ほどの間,オケラ仲間の近海クルージング用として活躍しました。私もオケラ仲間と一緒に八丈島など伊豆七島へのクルージングにたびたび参加しました。
ヨットオケラの設計者の斉藤茂夫さんが,今度は飛行機を作ろうと言い出しました。彼は情熱家で,かつ行動力があるので,独学でも作りたいと一人乗り水上飛行機を作り始めました。

今,考えてみると,飛行機の話は多田さんが言い出したのではと思います。多田さんは,戦時中に中学時代を過ごし,グライダー部で滑空の練習をしていたと話していました。中学校3年時に予科練へ入りましたが終戦となりグライダーは中途半端で終わりました。空への思いを斉藤さんへ語り,ヨットのセールと飛行機の翼は基本的に同じなのでやってみようとなったのではないかと思います。

自作の飛行機が完成したら自分で操縦して飛行を楽しもうと話はふくらみました。飛行をするためには操縦技術がなければならないが,日本での実技習得は多額の金と時間がかかるため,サンフランシスコで実技を習得しようとなりました。

斉藤さんは交通費なしで北米へ渡ろうと,日本から北米へもどる大型ヨット「ソーサリー」のクルーとなって乗船しました。ソーサリーは大型ヨットでしたが,北太平洋でマストを折損し,コーストガードの救助を受け,北米へ曳航されました。斉藤さんとしては結果的に交通費なしで北米へ到着したことになりました。

多田雄幸さんは,個人タクシーで旅費を稼ぎ,成田からサンフランシスコへ向かいました。多田さんと斉藤さんはシスコ郊外のフライトクラブでセスナ機の操縦の実技の講習を受けました。操縦士免許を取得するには規則などを英語で勉強する必要があるため,二人は操縦実技さえ習得できればOKと帰国しました。

最初に自作した水上飛行機は,富士重工の自家用車「スバル1300cc」の水平対向4気筒エンジンを使用しました。完成した水上飛行機のテスト飛行を波の静かな港で実行しました。プロペラは円滑に回転しましたが,飛行機は高速ボートのように海面を走るだけで,離水できる速度には至りませんでした。自作機のテスト風景の写真が残っているはずですが見つからないので絵にかいてみました。
1_自作水上飛行機

多田さん達は,自作機は小型ながら下の写真のように海面を滑るように走り,飛行するとイメージしていました。(写真は新明和工業株式会社=旧_川西航空機株式会社のHPより)
     2_PX-S飛行艇

水上飛行機が離水速度へ達しない原因は「エンジンの馬力不足」と考え,2機目の水上飛行機の自作にとりかかりました。2機目は馬力の大きいマツダのカペラのロータリーエンジンを搭載しました。
2機目の水上飛行機のテストを沼津の内浦三津の港で行いました。馬力の大きいロータリーエンジンでしたが,その重量で機体が深く沈む状態となってしまいました。エンジン出力を高めてテストを繰り返しているうちに操縦席の背もたれ板が熱くなり,背中の薪に火がついてたまらない「かちかち山のタヌキ」のような操縦席でした。

結局,海面を走るものの,波の抵抗を受けて離水できる速度には至りませんでした。水上飛行機は重量を軽くするとともに,速度に応じて増加する水の抵抗をいかに少なくするかがポイントだと反省し,設計を最初から見直そうととなりました。このテストによって,プロペラの前面が自ら巻上げた小さな水の飛沫に当たって摩耗する事象が起きることを知りました。

3機目は,機体を極限まで軽くし,エンジンも軽い大型バイクの空冷750ccとする設計で自作しました。
これまでの2機は伊豆の山中の空き地を借りて自作しましたが,3機目は小田急線生田駅に近い知人(畠中氏)の作業小屋で作りました。畠中氏は,その当時,オケラ3世の雌型を使用して同型モデルのヨットを量産し販売していました。

3機目も胴体をフロートにした水上飛行機でしたが,これまでにない軽量型でした。完成した飛行機の本体と主翼をトラックに乗せて未明の暗い道路を走り,埼玉の戸田の荒川の岸へ運びました。
夜明け前の川岸で主翼を取付け,戸田の荒川へ浮かべました。斉藤さんが操縦士となりテストを開始しました。
水上飛行機は十分に早い速度で水上を走り出しました。ほどなく離水しそうな状態に達し,機体が水面をポンピングした瞬間に機体と尾翼部分の接続部がボキと折れ,機体が頭から川の中へつっこみました。機体は直ぐに浮かび「お尻が切れたトンボが水に浮いた」ようになりました。操縦席の斉藤さんには怪我はありませんでした。

この飛行テストの爆音を聞いて荒川の土手の上で見物していた人達も「あ~あ~」と言って戻って行きました。荒川の管理者風の人が来て「許可なくこのような事をしてはけない」と注意を受けました(当然です)。私達は水に入って壊れた3機目を回収しドラックの荷台に乗せて帰りました。車の中で「もう少しで飛べたのにな~」と話しながら面白かった気分で生田の作業小屋へもどりました。

3度のチャレンジで,胴体をフロートにした水上飛行機は難しいとわかりました。
セスナ機の車輪の代わりに大型のフロートを取付けて,かつ低速度でも大きな揚力が得られるように主翼をもっと大きくすること,セスナ機のようにプロペラを主翼の前に取り付けてプロペラによる風の流れでも揚力が生ずるような構造とすること,胴体をフロートにする場合は胴体の下にアワを吹き込み,アワの浮力で機体を浮かせると効果がある,などなどの改善が必要と話し合いました。

そもそも,自動車の100~200馬力程度のエンジンの単発機で,胴体をフロートにした飛行艇型の水上飛行機を考えた点に甘さがありました。複葉機とし,双発機~4発機にしないと飛行艇型を離水させることは難しいでしょう。

水上飛行機を3回自作して,3回失敗はしましたが「やってみたい事をやった」と言う充実感は残りました。この頃,西堀栄三郎先生から声を掛けられ,北極点犬ぞり単独行とグリ-ンランド犬ぞり縦断にチャレンジする植村直己さんのお手伝いをこととなり,一人乗り飛行機作りの遊びは終わりになりました。

陸上飛行機を自作しなかったのは,テストのために滑走路を使用させてもらえないと思っていたからです。水上飛行機なら,どこか人のいない所でテスト飛行ができるかもとの思いつきからでした。とにかく作ってみたい,水上機なら滑走路がなくてもテストはできそうとの少年のような発想でした。良い子のすることではありませんね~。

下は多田さんの蔵書「日本飛行機100選」です(多田さんは,この本を眺めながら中学校3年で予科練を志願した頃の夢を膨らませていたのかもですね)。
     3_飛行機100選表紙

下は日本飛行機100選の目次です。目次はクリックで拡大します。
日本飛行機100選目次3

下は多田さんが同書に見出し紙を挟んでいたページの写真です。写真はクリックで拡大します。
5_15式飛行艇 6_海軍90式2号飛行艇_川西KF

終わりに,
ヨットであれば,素人が自作した船で海を帆走しても第三者へ被害を与える虞は少ないですが,飛行機となると,素人が自作したものは墜落などの危険性が高く,更に第三者へも被害が及ぶ虞もあるため飛行テスト等をするべきではありません。飛行機自作の話は35年前ですが,飛ばなくて良かったな~と思います。

オケラ5世の思い出(第1回BOCシングルハンド世界一周レース)へ続くは→ → こちら

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  1. 2013/04/08(月) 17:04:10|
  2.  ヨット オケラの思い出 5世以降
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オケラ3世の思い出(沖縄海洋博レース)

ヨット オケラ3世の思い出 (その2):沖縄海洋博_太平洋横断ヨットレース  
                
         オケラ3世の思い出(その1)は→こちら             目次へもどるは→こちら

ヨット オケラ3世が1975年沖縄海洋博覧会の記念レース「沖縄海洋博シングルハンド太平洋横断ヨットレース」に出場したことはページ「オケラネットの始まり」に書きました。オケラネットの始まりはこちら

友人から,沖縄海洋博シングルハンド太平洋横断ヨットレースの当時のポスターが届きました。
次の写真が,沖縄海洋博覧会の事務局が作成した当時のポスターです。オケラ3世がスタート地点のサンフランシスコへ向けて油壷を出港した時の写真が公式ポスターに使用されていました。船尾(Stern)にOKERAⅢの文字が見えます。出向した日は風が強く,メインセールを2ポイントリーフして出向した多田雄幸さんの姿を思い出しました。
沖縄海洋博ポスタ_1


ポスター下の「EXPO'75」の右に
     沖縄国際海洋博覧会
     海―-その望ましい未来
     開催中→51年1月18日まで
     沖縄県本部半島 

と印刷されています。ポスター左上の「一路」の下に,レースへ参加したヨットの名前が印刷されています。
     沖縄海洋博ポスタ部分_1


レースは,一位「ウイング オブ ヤマハ」戸塚宏さん,二位「マーメイド四世」堀江謙一さん,三位「リブ」小林則子さん,四位「オケラ3世」多田雄幸さんの順位でした。次の写真は沖縄海洋博覧会レースを終えたオケラ3世と多田雄幸さんです。写真のパネルに4位_51日22時間と記載されています。
(写真はクリックで拡大します)
     沖縄博レース4位_0004

次の新聞記事は,沖縄海洋博シングルハンドレースに出場するために油壷からサンフランシスコへの航海の新聞の切り抜きです。1975年7月6日油壷を出向,46日の航海を経てサンフランシスコへ8月22日に到着しました。新聞の記事の下部に当時の太平洋横断の記録が掲載されています。

        (新聞記事をクリックし,もう一度クリックすると拡大します)
Okera新聞記事4
               (上の記事はクリック,再度クリックで文字が拡大します)





次ページ 文春に掲載されたOKERAの多田雄幸さんの沖縄海洋博ドヨットレースは  ⇒ こちら

オケラ3世の思い出(その1)へもどるは
 ⇒ こちら

現在のオケラネットのホームページは → こちら


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  1. 2013/03/27(水) 12:15:11|
  2.  ヨット オケラの思い出 5世以降
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